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今朝(2001.08.31)のニュースで近江八幡の菓子店が火事で全焼と聞いたときに、今年3月に訪れた近江八幡の町並みと、でっちようかんの「和た与」をすぐに思い出しました。その後、お店の名前は「和た与」と聞いて耳を疑い、変わり果てたお店の映像を見て惨事の大きさを認識させられました。
お亡くなりになった方のご冥福を心からお祈り申し上げます。 |
(2001年3月撮影) |
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家の近くに小さな和菓子屋さんがあります。主婦が3人で始めたというそのお店の名物は夏限定の水ようかん。 去年は買いに行った日に大量の予約が入っていて買えませんでした。その後思いだし9月の後半に買いに行きましたが、もうシーズン終了。 昨年は食べた人の「美味しかったよ~」と言う話だけで終わってしまいました。 さて、今年はと思っていたのに気づいたら冷たい風が・・・ (また今年も食べられずに水ようかんの季節が終わってしまったわ、あ~限定水ようかんが食べたい!!) 食べられないと思うと余計に食べたくなるもの。 そんな話をしていたら、名古屋出身の方からこれからの寒い季節が旬という水ようかんに似た食感の ”でっちようかん” なるものを教えていただきました。この2年に及ぶ私の水ようかんへの思いがはたして満足するでしょうか? |
11月2日 でっちようかんて何?
さっそく検索サイトで”でっちようかん”を調べてみることにしました。知る人ぞしる銘菓なんですね(知らなくてすみません・・・)。60件近くの検索結果がでてきました。表題をざっと見てみると、でっちようかんて西の方の何カ所かで作られているようです。その中でも有名なのが、「滋賀県近江八幡」「福井県若狭」「京都府」「三重県伊賀上野」。
場所によって名前の由来も作り方も少しずつ違うようです。
■名前の由来
近江八幡 |
かつて商家に奉公に来ていた丁稚さんがやぶ入りするときに故郷への土産に買って帰ったことからその名が付いたとされる説
逆に、近江八幡から丁稚奉公にきていた人が帰郷するたび、奉公先にようかんをもちかえったことから名が付いたとされる説
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福井 |
いわゆる水羊羹に比べると煮詰めが足りず、羊羹としては「半人前」という意味で「でっち」と名付けられたという説
見習い職人でも作れるからという説
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三重県伊賀 |
「丁稚奉公」の「丁稚」が先ず始めに作り方を覚える御菓子だったからと言う説と「丁稚」が「練りようかん」を作ろうとして失敗してしまったからという説があるが、はっきりしたルーツは知られていない
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京都 |
米と小豆を手で混ぜ合わせることを“でっちる”と呼ぶことからついたと言う説
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■注文してみました
でっちようかんには、竹の皮に包んで蒸し上げるタイプ(近江八幡)と寒天を使って煮溶かした後冷やすタイプ(福井)と大きく分けて2種類あるようです。
今回は近江八幡にある徳川時代からの老舗 「和た与」に電話で注文してみることにしました。送料は2キロまで840円(東京)で、1本からのばら売りもOKだそうです。とりあえず最小パッケージの5個入りを頼んでみました。
支払方法は代引き。連休になってしまうので6日着と言うことでお願いいたしました。
連休明けに届くのが楽しみです。
11月6日 でっちようかん到着!!
連休明けの月曜日、午前11時に宅配便で届きました。
箱を開けると茶色の包みに緑色の名前の紙、紅白のひもで包まれたようかんがでてきました。それといっしょに名前の由来や製法などの書かれた紙がはいっていました。 |
竹皮が余分な水分をすってくれます |
蒸し羊羹というので堅そうなイメージでしたが、薄小豆色の水ようかんのような風合い |
口に入れるとほのかに竹の香りが・・ういろうに少しにた食感、あっさりとした甘さ。竹皮をつけたまま幅4~5cmの輪切りにするのが通だとか。 |
1本260円、5本入り1300円。
それに送料(代引き)が840円(2キロまで)です。 |
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今回の注文先
和た与 |
滋賀県近江八幡市玉木町2-3
電話 0748-32-2610 FAX 0748-32-2619 |
支払方法 |
代金引換 |
注文してから届くまで |
2~3日 |
水ようかんにはない食感と後口のよさで大満足!!
来週は福井方面の寒天を使ったタイプを頼んでみたいと思います。
11月13日
何カ所かホームページを探してみましたが、福井の寒天をつかったタイプははどこのお店も「みずようかん」の名称で売られているようです。でっち羊羹ではないのでしょうか?でっち羊羹はどこが発祥なのでしょう?
■でっちようかんはどこが発祥??
図書館で日本の食生活全集なる本をみつけました。この本は一冊一県で構成されています。その中の「滋賀の食事」の中に「でっち羊羹」の名前をみつけました。小豆に黒砂糖、それにメリケン粉を混ぜ竹の皮に包んで強火で蒸し上げたもの。厚さは二分位で薄く、竹の皮の香りの素朴な味わい、とありました。残念ながら、福井や京都の巻に「でっち羊羹」の名前はでてきませんでした。そうなるとやはり近江の丁稚さんが奉公先に持って帰り京都や福井などに広まっていったのでしょうか?
■羊羹の原型?
羊羹は鎌倉時代、中国から点心として饅頭などと共に、禅宗の僧侶によってもたらされました。今でこそ羊羹といえば寒天を使った練羊羹が主流ですが、その当時は蒸し羊羹が当たり前。とすると、この丁稚羊羹は羊羹の原型により近いと言えるのでしょう。
■羊羹ってなんでひつじの字がつくの??
羊羹の羹の字は本来「あつもの」とよび、汁物をさしたようです。中国では、羊やイノシシなどの肉に「あんかけ汁」をかけたものを羊羹や猪羹などとよんでいたようです。しかしこれを日本にもたらした禅宗の僧侶は、魚肉食の禁じられていたため、小豆や大豆、小麦粉などで肉に見立て、それにあんをかけ食しました。いわゆる精進の見立て料理です。その後、長い年月をかけ羊羹は料理から和菓子へとかわっていったのでした。
鎌倉時代の僧侶が小豆から羊羹を作った発想に感謝し、本日の三時のおやつは羊羹を厚く切っていただきたいとおもいます。
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参考資料 日本の食生活全集「聞き書 滋賀の食事」 農村漁村文化協会
図解 和菓子の今昔 淡交社 |
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